万が一のために書き残すこと その1

時間が差し迫ってきましたので、当初の予定通り、当方のこと、なぜこういうった物語の仕組みをいまさらに

構築しようとしているのかを書いてゆきます。

 

 

国の根源は人と人の繋がりです。

これは利害であったり、信頼であったり、血筋や血縁であったり、そういうものもろもの上に形成された

統括の仕組みです。

 

この仕組みは、幾度かの外装を変更しましたが、現在も厳然とあるものです。

 

 

さて、最近よく言われる国歌斉唱の話題をひとつ・・・

 

この記事を読んだときに、当方は失笑してしまいました。

 

人をもって形成され、人を持って活かされ、それらをもって人を活かす仕組みが国家であるなら、

 

これが持つシンボライズに、人が殺されていると。

 

歌を貶めるということではありません。

 

私は、学生時代にも15年以上歌に対して熱意があり、音楽にも傾注していたほどです。歌好き。超好き。

 

で、たとえこの国が見えない貴族・・血縁性で構築運営されている古い血筋の国家であろうと、

 

それを超えた部分に人間はあるというのは当たり前で、その人間の人生が、創られた仕組みの中で

 

歌を歌うか歌わないかで左右されている・・・そこに呆然となるほどのばかばかしさ、

 

本末転倒さを感じたのです。笑いました。

 

他の国家がどうとかは関係ありません。

 

人間に同じですから。

 

人間同士が手を取り合い始めた仕組みが、人を殺すにあたわず。

 

人の繋がりの円滑化を、その仕組みの精緻さの分解を学者任せ出なく、ただの人と人、夫婦、親子、兄弟、家同士で

 

意識し、補足しあい、これをもって国家を生む礎としないから、国家は人を知りません。

 

条文という命令で動く自動販売機となるのです。

 

その人と人の手を取り合うに使う潤滑油、もしくは、欠けた時間を生めて再び互いを繋ぎあう為の契機のひとつとして

 

私は、この「物語」を使うことを考え、仕組みを作り出しました。

 

もともとは、20年ほど前に、当時ある美術家に仕えていた折に考え付いた、どんな種類の作家でも

 

利用できる創作の題材を、古今の神話や昔話を集約した形でコミカライズした

 

共用フォーマットがその素案です。

 

 

二十年近くの時間の中で、何度も構築と失敗を繰り返し、当初の神話と昔話の集約としての思想は

 

現在において、国家や企業、宗教などに左右されない基礎を持つ物語システムと刷るために、それらより古い時代と

 

根源からこれを構築することで対応し、二十年近く前とは異なる部分もありますが、構築中です。

 

 

 

さて、今回はここまで。次回に続く・・・・ koozinoisi