ちょっと気になったので・・・

私の言にしてはかなり攻撃的なのですが、

少し前に大阪府のことを小耳に挟んで、少々思うところあり・・・

以下を書き残します。が、個人攻撃は良くないし、感情的な部分がるので

あとで補正しないと。

 

・・・

 

各市政下、もしくは派閥下における企業・商業・個人への提案(としてみます。)

 

伝え聞く現状を省みるに、貴市政下における個人・企業・集団への
市長および形成される派閥による公共的市政は
行政下においても同等の権利および尊厳を有する市職員、ならびに市民一同のこれを抑圧し、
市政下における最低限の検証や過程を排除し、根幹を成す「個人」への政、「倫理」を構築し維持し続ける
「人格権の維持」たらしめる基本的理念に劣る状況と見られます。

しかしながら、基礎経済的な予定や市政下における権利や義務等により
この個人の役職にのみ専横する行政下においてすら、個人、企業、商店、集団はあまりにも弱く、
権利を放棄してはその生活や利潤確保も構築できない現下にあります。
そこで、ひとつの提案として、
現行政の方針が、市長およびその領袖における派閥の専横における
各「個人」との意思の不通と検証の不足によるものであり、
過程の検証や、多数の状況的混乱への苦言を蒸し続ける言が、
市民や市職員という立場の前に、厳然と存在する「人間」としての「個人」における
権利や尊厳、個人の倫理を、(本来は「個人」の下にあるべき)その「役職」上の義務と権利のみで
(一個人が)損なわせ続けていることを問題とし、
尊厳の倫理を破綻させているとして「法廷」への全市民規模の集団訴訟を検討するとするのです。
実際に法廷に持ち込む必要性はありません。しかし、市民が一人一人、企業が一つ一つ、
その「根源的在りようを無視された」抑圧に対し、

自らの「個人」(人権)を捨てないと意思表示することが必要なのです。

 

同時に、宗教・企業・人種・地域に問わず、「個人」としての倫理維持のため繋がりを結成し、
行政下においてこれを阻害しようとするならば、一時的に相互利潤を補足する体制を築くこと。
(ただし、現行の日本国憲法における反体制的行動ではないことを旨にすること。)
これはリーフレットや人伝えの告知でもかまいません。
ただし方法として各地域にいっせいに出すこと。これを数度繰り返すこと。
人の意識の中に、国家を傷つけることなく、行政を抑圧せず、ただ「個人の権利」を否定する専横にのみ
これを維持する為、対抗するという意識を根付かせること、
一人一人のモラルと(モラル喪失による)日常の生活の仕組みを破綻させない意識を置くことです。
最初に500人、次に5000人、さらに5万に、そして50万人までこれが組めればよいと思います。

 

 もし彼らの言が長じて「軍」や「戦争」を行おうとするなら、

彼らにとって「戦争」というものは
彼らにとってのあらゆる他者の「個人の倫理」や「人権」を、「抑圧」し、
「自分以外の個人の否定をおこなうために行政を利用した「個人」の殺人者化」

のみにあることになります。
彼らの持つ特性は、「(他)人の個人的」「倫理」「権利」「人格」

を否定する「個性」ことに他ならないでしょう。

 

余談ですが、九条の真の意義とはあらゆる他国で行われている

「戦争状態」での「殺人」を「日本国籍者」に犯させないこと、

人間を戦争化で安易に人を殺す殺人(を犯す)者にしないに尽きます。

これこそが、他国に長じてこの国のみが先に有する結果となった

「戦争における殺人の罪」から開放させる規範であり
また、外交のアドバンテージであり、「日本国民」としてのアドバンテージとなるでしょう。

というのも、戦争を行っている他国は、

「戦争」が基調として存在しながら「殺人の罪」という矛盾を常に抱えています。
(同時に人を殺さないことを、戦争をしない「日本」を侮蔑しあざけるでしょうが)
しかし、同時にこれこそが、

他国のそれぞれが目指す「平和」の先に「日本」が立っていることを意味します。

そして、この「九条」があることは、時にこの放棄をもとめいさかいにもなるでしょうが、
もうひとつの使い方として、全世界60億の人間すべてに

「九条」下における「システム」と「日本国籍」を交付するという形です。

 

「戦争」下での殺人・略奪を認めず、これを罰するということ、代わりに、日本憲法の権利を持つこと、
またその先の、日本が構築した「すべての正義を内包する上ですべての

「個人」の倫理を規範とする世界」を中心においた
「人種」「性別」「国家」「宗教」「企業」「階級」を問わない「人倫」を基本にした政策や方針を
もって維持することを「日本人」の世界に対するアイデンティティーとすることすら出来ます。

だから、風土も言語的リズムも、感情も異なる上で、他国と同じこと、

他国と同じ方針でいる「戦争による殺人の罪」を含めた
終わりのない均質化より、「あらゆる個人」すら内包できる

「戦争による個人への殺人の罪」のない均等化をアイデンティティーにすることを、
私は「人間」に選ばせたい。そう願ってやみません。

 

・・・