他者であがなうことの意味とは・・・

食費を切り詰めたくて探していたら

ちょっと安く韓国の缶詰を購入することになって、

そのレヴューを見たとき、その方のレヴューは、非常にシンプルで

その缶詰の「国籍」の違いも(苦笑)生まれた地域の異なりも論ずることなく

ただ1つ、どのようにおいしいのかどうか、ご飯に合うのか、お酒に合うのかだけ

書いてありました。

 

これを読んだとき思ったのは、

ああ、「人種」「国籍」「出生」「宗教」に左右されないただの「個人」の意識・・・

「この」・・・

食に始まる味や技術、音楽、色彩や造詣に始まる芸術を

常に世界中から包容する器量の美しさこそ、日本人(日本という文化地域に生きるあらゆる人種)の

栄えなのだと思いました。

いや、たわいも無い、取るに足らない話なのです。

 

あと・・・

韓国をはじめ、朝鮮半島は、常に大国と隣接し、「戦争と死」というもの体験し、

この「死」を回避し続けたいという「生き残ること」への渇望と生存本能というものは、

日本人のそれとは異なり、

近年までの軍部や軍閥、財閥とのかかわりを見れば、いやおうなしが在ると思えるのです。

この部分の理解が多分日本人の大半には足らない。と思うのは、少し公平に欠けるでしょうか?

(長じて、国家と国家の「利」ありようは一面に情報戦であり、

全てを利用し、全てを踏み台にしようとする何者と付き合うことになろうとも、

国家では無理でも「人」同士は、それすらも包容して、

我々は殺すのではなく我々の和を通すことが出来るという意味ですが・・・

・・・どう思われようが、その助けをもって助けた相手に侮蔑されようが助ければいいのです。)

 

そしてだからといって、では日本が戦争をするというのはただ誰かを殺して自らの威を示したいだけで、

自らを他者を殺すことで誇ろうとするのは自らの誇りたるを伝えるも、在り様も知らぬことだし、

自らの誇りを語る言葉を持たぬも同じこと。

誰かを侮蔑すること、貶める言葉は、自らを誇る言葉、誇りのありようが見えない証。

誰かの命で自らをあがなおうとすることは、自らの命すら誇りも価値も見出していない無碍なる逃れ。

それこそ何よりも無残であり、無為。

ほぼ大半の他国が「戦争での殺人」と「殺人での罪」の矛盾を抱えるなかで、日本が先進的に至った道

である戦争の「殺人」の否定・・・これこそが日本の斬新にして先進、他者のどれもが至らぬ無二の道でしょう。