政府というのは、いくつものスポンサーを有し、株式等で左右されない根幹的企業群とともに
その外交と長期契約を、他の企業群や他国と契約し、この確認と維持をもって
数十年、もしくはそれ以上の信頼を維持する機関だと考えています。
もちろん、税金の徴収や、日本各地の地域行政への提言、各省庁の機能とその円滑化・・・
それらとともに、憲法下に置かれない部分の普遍的「人間」の共通倫理と、
憲法下においての「人権」の総体を護る・・・正確にはこの指針に沿って、
稼動している側面もありますが、基本的には揺るがない基幹産業と、交渉、その調整機構であると
考えてます。
本当はもっと身近に、もっと一人一人の側にある政府であるならばとも思いますが、
政府の総体は
多くのスポンサーおよび税金運用により
骨組みを構築し企業群や省庁、また長期契約にもとずく外交と経済交渉
を担っているからこそ、その主権維持を構築できており、これは内部の変化は必要なれど
対外的にも数百の国家群、数十万の企業体、多くグループとの対応において、
長期運用と信頼の維持は欠かせないものでもあり、
これは現状いたしかない部分だと考えています。
しかし、ここが即応した個人と、その個人への最適化とは系統が異なってしまう最大の理由であると
そう思うのです。
集団に対しての責任を、多くの国家と関係がある政府総体が全てになうとき、このバランスが崩れる・・・
そこに着眼する必要があります。
もし叶うならば、政府による独立した個人の権利維持とその最適化を担う行政と実働の両立された機関を
各省庁と連携させ設立させ、この対応に当たらせれば・・・
例えば震災の時、前兆として現れる地震をもって該当地域を(演習もかねて)非難させる・・・
その情報を管理運用し、省庁にも連携させる・・・ということが可能でしょう。
もしくは省庁を長期運用の部と、即応の部にわけ、各庁の長官がそれに応じる。
多くの人民を短時間で救い、被災による「人権」の区別を発生させないその指針の公言と、
これにもとづく活動こそ必要な時、より独立した庁クラスの存在は今後特に重要になると考えています。
余談ですが、先日、大阪の高校?受験の階層化、特定高校への倍率の上昇が話題になっていました。
資本主義の・・・というより純粋に商業的な競争原理に基づくなら、この集中と選別は発生するでしょうが・・・
もう1つ思ったのは、基本的に日本には1億2千万?弱~3千万ていどの人口があります。
昨今少子化が叫ばれているにもかかわらず、特定のレベルの教育を受けることができる国民が
競争の中で制限される・・・???矛盾を感じたのです。
つまり、単純にいれば人口は1億人以上だが、より高等の教育のなかでのさらに良い(洗練された?)ものを
選べる人が限られるということは、対外的には1億人を誇りながら、
その数分の一、もしくは数十分の一しか、特に高度化された人材育成の国民がいない?
少々、極論ですが・・・これは国家規模ではナンセンスだと思いました。
もちろん、個々の能力や、センス、可能性、もしくは経済的事情も加味されるでしょうが、
最終的な結果として選別がこの段階で行われざるえない競争化が、結果として
国力を下げていると思ったのです。
私はお分かりでしょうが、学力も無く、多くの方に胸を晴れる存在ではなかったので、こういく話をする資格があるのか不明ですが、それでも、少子化であるならより多くの人材を国家レベルで育て、
人的資源を豊かにする。これが求められるべきでしょう。
では、即応した対応を大阪に求められるかといえば、これこそ行われないでしょう。
そんな時に、ある程度の救済機関や、その設備を準備できる即応可能な独立庁があればと
思ってしまったのです。
同じことを言いますが、階層が出来るということは、
1億人いる人員の例えば1000万人しか、より高度な教育を受けられない・・・とすれば、
これは1億人の人員が要るのにに、十分の一しか即応できる人材がいないことになる。
これは競争の理論が支配の取捨選択に繋がる理論に摩り替えられた現象だから
これは解消しなくてはならない・・・ということと思います。
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