改憲について改めて述べること

先の文章のとおり私が副業で忙しく体調不良などに陥っている間に、

どうも世の中では改憲の機運を政府の一部が断行しようとしているようです。

 

以前から述べているとおり、平和憲法の本質とは「人に人殺しを行わせない」

「人殺しを負わせない」部分に集約され、

これこそ「国家」も「人種」も「性別」も「宗教」も「利害」も関係なく

人を人として絶え間なく可能性の塊としてあらせるべき人の倫理を生む。

そして日本は
これをもってして国家を起こしているところに最大の利点が在ります。

もちろんその根底や「人」にあり、そこには多くの思惑や思想、もちろん利害はあるでしょう。

しかし、誰も殺さず誰からも簒奪しない「形」は「容(うつわ)」です。
ここにあるからこそ、この星のあらゆるを許容として集め表現できる人が生まれました。

であるなら、ここがこの先の原点で、ここが最初であるのです。

「人を殺さなくても許される世界」のです。

 


現状、秘密保護法に始まり、平和憲法の改正へ続く現状が

「人間個人の権利」を様々な見地から

阻害しないのであれば、また・・・この改憲が「人殺し」を国民に行わせない改憲なら、

(私は)そこに企業的利権や国家的思惑があっても問題は薄かったでしょう

(気にしなかったでしょう)。

でも・・・今回の改憲は、どのような事情であれ、

ようやっと「人を殺していない人」が存続できる奇跡のような状況を、そこにあって始めて

保証される「人の権利」を、人のためにある政府がこれを破綻させるまさに嚆矢です。

 

防備のための技術的開発や準備は必要ですが、

それは国民である人の倫理的権利の存続ゆえでなくてはなりません。

が、今回は、政府の一部により人の権利を基点にしていない、

政府と連なる国家、宗教団体、企業組織のためのへの思惑そんな状況です。

 

改憲阻止は・・・

これは明日自分をただただ簒奪のための「人殺し」として手を血に染めない

ための人の最初の準備としての阻止であり、人を人の先にあらしめんとする

嚆矢です。

 

次回は近日宗教の話を。あとアニメの寸評と2作品くらいはあげたいです。