朝日新聞問題につての提論

あらかじめお断りしておくと、私は宗教の違いや人種、肌の色、思想・・・
そのほかあらゆる異なりが、それが他者を一方的に簒奪したり
その目的・性質のための簒奪の簒奪、略奪の略奪、他者廃絶を意図しない限りは、
その違いにより、人権と倫理と道徳を、基本的権利を、何者をも左右することも犯すこともあってはならずと考えます。

例えば宗教の異なりで
一方が一方を虐殺することが無いように、宗教の存続は認めつつも、

その上に人権と人命の優先法則を制定すること、
各宗教にこれを新たに「今現在の人々の手による」新しい「加筆」として、

その歩を理想に進ませることこそが大事と思っています。


また政府というシステムに特定の集団の利益に偏らない複数の中規模中枢と、それを束ねる融和的協議システムを希望する為、
現行の政府の偏った行政形態には、その改良を望むとともに、現行の政府政党体系は政教分離に反すると考えています。
故に、複数の宗教勢力・集団の「倫理アドバイザー」としての加入を求め、
そのバランスを維持することを求めたいとも思っています。


その上で・・・

色々なニュースサイトなどを
今回の件について読み強く感じたのは・・・

今イラクでも世界各地でも行われている
宗教問題での虐待や虐殺に似た「違い」や、
「間違い」を犯すことを皮切りにした「間違いを犯したものを異なるもの」として見続ける「差別」に近いと思えたことでした。


例えば、他の新聞社も、政府も、常に間違いを犯し、常に謝罪を繰り返していますが、
でもそれで人権を奪われるような、もしくは奪え!といわれるようなことは無いでしょう。

もちろん「間違い」が、多くの人の尊厳や命を奪うことすらある。

それでも、今回のことは、朝日新聞に属する「ただの人権在る人間」を責め立てる人々を見ていると、
ことの真相も、ましてや世界規模の意見と日本国内の意見の違いも無視して、
ただ「間違い」は、人権を剥奪される。異なりは「人権を剥奪する」べしとするような姿勢です。


私は、ここに本来なら「政府」が中立の立場で、
「間違い」を越えた部分での「国民」の基本的権利の保全を行うべきであると思いますが・・・
恐ろしいのは何千、何万という人々の総体に対する差別を「政府」が仲裁しなかったことだと思います。

間違いや異なりはそもそも人権や尊厳を剥奪できるのか?
これは否でしょう。


もちろん他者を簒奪する思想や、他者を廃滅する思想を持っているなら、然るべき法にのっとり裁かれるべきですが・・・

責め立てる他の新聞や政党は、責めることができるなら自らが殺人や略奪を行ってもかまわない。
他者の人権を奪ってもかまわない。
ただただ自らの権利のため、誰か(の人権)を侵害するために「間違い」から略奪する。

これに私は、間違いがあろうとも、朝日新聞に勤めている人に人権はあり、それは最優先で守られるべきと思います。

そして慰安婦という存在を皮切りに、誰かを責め、人権が無いように見せる、
この責めれることを知らしめる、そこに利益を見出す。
これは憲法下にも人権を守る意味でも非常に危険であり、間違いであると思います。


それと慰安婦問題の本当の根底は、
「戦争で人権も尊厳も一切無く、一方が一方を無残にも殺してゆく殺戮の中で、
果たして女性への尊厳と愛をもって接すべき性というものへ、これもまた多く傷つけられていること、傷つけられてきたことを
決して忘れてはならないという戒め」なのであり、
それがあったのなら、正当に傷を癒さねばならないし、

これを政府が手助けするのは人を人が運営する組織が助けるのだから
これもまた正当でしょう。。


無かったのであっても、
過去、戦時下において、前政府が各兵員となっていた国民に

その「自らの尊厳」も「生命」も政府の存続のために砕くよう「玉砕」を命じたことを、
その意味を理解できるなら、いずれかにおいて懸念するようなことも起きていたのかもしれない。
「玉砕」は直に起こされたのだから。
現行の政府ですら、このもっとも無視してはいけない原点の事象も意味も引き合いに出さず、万が一すらも杞憂できないのならば、
これをもって(経済的な意味でなくても)言葉としても思い図らないのなら、何者をも助けないこととなり、これは不当でしょう。

私は日本がこの慮らない部分で孤立することに心配を覚えます。